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大阪地方裁判所 昭和49年(ワ)5309号 判決 1976年11月30日

原告

可児弘子(旧姓吉田)

ほか三名

被告

エーケン製薬株式会社

ほか三名

主文

一  被告エーケン製薬株式会社、同ニチヤク株式会社は各自、原告可児弘子に対し、金二一五九万五〇四九円及びこれに対する昭和四九年四月一〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告可児光宏、同可児憲明、同可児佳詠子に対し、それぞれ金一四四三万〇〇三三円及びこれに対する昭和四九年四月一〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告エーケン製薬株式会社、同ニチヤク株式会社に対するその余の請求及び被告千寿製薬株式会社、同吉田正雄に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用中原告らと被告エーケン製薬株式会社、同ニチヤク株式会社との間に生じたものは、同被告らの負担とし、原告らと被告千寿製薬株式会社、同吉田正雄との間に生じたものは、原告らの負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告らの請求の趣旨

1  被告らは各自、原告弘子に対し、二二七七万八五三〇円及びこれに対する昭和四九年四月一〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告光宏、同憲明、同佳詠子に対し、各一五七八万五六八五円及びこれに対する前同日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二原告らの請求原因

一  事故の発生

1  日時 昭和四九年四月九日午前二時ころ

2  場所 箕面市芝一四八番地先新御堂筋

3  加害車 乗用自動車(大阪五五に五三六一号)

右運転者 訴外亡森景一(以下森という。)

4  被害者 訴外亡吉田謙之助(以下謙之助という。)

5  態様 加害車が北進中、国道一七一号線手前五〇〇メートル付近において高さ二五センチメートルの緑地分離帯に乗上げて暴走し、新千里川に転落したため、同乗していた謙之助は、右同時刻ころ新千里川において死亡した。

二  責任原因

1  運行供用者責任(自賠法三条)

被告らは、いずれも次のとおり加害車を自己のために運行の用に供していた。すなわち、

(一) 被告エーケン

被告エーケンは、加害車を所有し、又はこれと同視しうる地位にある者として業務用に使用し、自己のために運行の用に供していたものであり、このことは、同被告が昭和四六年三月一七日訴外株式会社マツダオート関西(以下マツダオートという。)から加害車を買受けてその代金七六万八七〇〇円の七〇パーセント弱に当る頭金五〇万円を支払うとともに自賠責保険契約を締結したこと、同被告の取締役である森に加害車を通勤用及び業務用に使用させていたこと、同被告が加害車の自動車税を納付したほか廃車手続及びスクラツプ代金の受領を独自になしたこと等の諸事実に照らし明らかである

(二) 被告ニチヤク、同千寿

被告ニチヤクは、昭和四七年訴外イヤク株式会社(代表取締役被告吉田。以下イヤクという。)、同光薬品株式会社(代表取締役被告吉田。以下光薬品という。)、同美馬薬品株式会社(以下美馬薬品という。)、同旭薬品株式会社(以下旭薬品という。)の四社が合併した会社であり、このうちイヤク、光薬品と被告エーケン、同千寿らは、実質上同一会社の関係にあつたところ、右合併後も被告会社三社は、実質上同一企業体の関係にあつたものであり、このことは、以下の諸事実に照らし明らかであるから、被告ニチヤク、同千寿は、同エーケンとともにその保有する加害車の運行供用者というべきである。すなわち、

(1) 被告エーケン、同千寿は、もともと卸業を目的とする光薬品の製造部門として業務、資本、従業員の人事関係等につき光薬品から絶対的に支配を受けていたところ、前記合併は、実質的には光薬品が同じく卸業を目的とする他の三社を吸収合併したものであるにすぎないから、光薬品の被告エーケン、同千寿に対する右支配関係は、そのまま合併後も被告ニチヤクに承継されたものというべきであり、現に例えば従業員が被告エーケンを退職して同ニチヤクに入社する場合、退職金は支払われず、従業員自身これを単なる内部の配置替、異動と理解しているのである。

(2) 被告会社三社は、各本店を同一ビル(大阪市北区北同心町一丁目八三番地同心ビル)に置いている。

(3) 被告会社三社の役員、従業員は、同一化しており、例えば三社の代表取締役は、同一人(被告吉田)であり、被告ニチヤクの取締役経理部長謙之助は、被告エーケン、同千寿の各監査役を、被告ニチヤクの商品開発課長森は、同エーケンの取締役をそれぞれ兼任していた。

(4) 資本関係も密接な関連があるのであつて、被告エーケンは、同ニチヤクが実質上一〇〇パーセント出資する会社であり、被告千寿は、同ニチヤクとその代表取締役によつて全株式の四五パーセントが占められているうえ、被告ニチヤクの役員謙之助、同じく訴外永井淳治、同じく訴外古川喜作、被告エーケンの役員であつた訴外佐藤悟、同じく訴外山田修、同じく訴外吉田祥二らが被告千寿の株主である一方、被告エーケン、同千寿の役員、従業員らは、多数同ニチヤクの準社内株主となつており、社外株主とは区別されている。

(5) 被告ニチヤクは、同エーケンの債務につき主要な不動産をもつて物上保証している。

(6) 被告会社三社の車両(加害車を含む。)は、本件事故当時被告ニチヤクの車両規程に基づき同被告(車両課)が統轄管理しており、右三社の車両に対する手当(運行手当及びガソリン券の交付)も被告ニチヤクから支給されていた。

(7) 被告千寿は、本件事故当時同エーケンの全従業員の給料を支出していた。

(三) 被告ニチヤク

仮に被告ニチヤクが同エーケンと同一企業体でなかつたとしても、同ニチヤクは、次のとおり加害車を自己のために運行の用に供していた。

(1) 被告ニチヤクの合併前の会社である光薬品は、被告エーケン従業員の所有車両を社用に使用するにつき承認を与えるなどして統轄管理していたうえ、加害車を含む被告エーケンの所有車両についても統轄管理していたもので、現に被告エーケンが昭和四六年三月加害車を購入した際も、光薬品は、同車について任意保険契約を締結している。

(2) 合併後は被告ニチヤク(車両課)が同エーケンの車両を統轄管理するに至り、合併前に光薬品、イヤク及び被告千寿が一体として支給していた被告エーケンの車両に対する手当も合併後は被告ニチヤクが支給していた。

(3) 森は、昭和四九年四月一日付で被告エーケンから同ニチヤクの商品開発課長に転任したもので、同課は、営業部門に属し、仕入販売先の開発を業務とするため業務上車両を必要としたところ、森は、加害車が被告エーケンの保有車で、かつ被告ニチヤクに統轄管理されていたものであることから、これを被告ニチヤクの社用に供することを拒否することができない立場にあつたので、毎日同被告の社用に供するため加害車で出勤し、同車を社用に供していた。

(四) 被告吉田

被告エーケンが加害車の運行供用者であることは、前記(一)のとおりであるが、同被告の実質は、次の諸事情により全く被告吉田の個人企業と認められるから、被告エーケンの法人格を否認し、その背後にある実体たる被告吉田自身が加害車の運行供用者であるというべきである。すなわち、

(1) 被告吉田は、昭和四二年ころ家族三人で細々と営業していた訴外株式会社須山製薬所(以下須山製薬所という。)を買取り、被告エーケン名に改称して自ら代表取締役に就任したもので、被告エーケンは、発足の当初からもともと個人会社の色彩を帯びた会社であり、被告吉田に全面的に支配されていた。

(2) 被告エーケンの資本関係は、昭和四二年当時被告吉田が自己の経営支配下にあつた光薬品に出資させたが、本件事故当時は被告吉田が経営している被告ニチヤク、同千寿並びに被告エーケン従業員の出資によつていた。

(3) 本件事故当時における被告エーケンの従業員数は、五名程度にすぎず、現在ほとんどの従業員が役員を兼任している。

(4) 被告エーケンは、何らの資産をも有せず、赤字経営が継続し、本件事故当時までに既に事実上倒産の状態にあつたものであり、自力経営では役員報酬はもとより従業員の給料すら支払う能力がなかつた。

2  使用者責任(民法七一五条一項)

被告ニチヤクは、森を雇用していたものであるところ、同人が同被告会社の業務の執行として、すなわち同被告会社らの役員、従業員の相互親睦、慰安を目的とした娯楽を終えた後、同被告会社従業員訴外亡浦野昌士(以下浦野という。)を同人宅へ送り届けるため加害車を運転中、当日は風雨が強く見通しが悪かつたのであるから、自動車運転者として慎重に安全運転すべき注意義務があるのに、これを怠り、漫然進行した過失により本件事故を発生させた。

被告エーケン、同千寿は、同ニチヤクと同一企業体の関係にあるから、森の惹起した本件事故について被告ニチヤクと同様の使用者責任がある。

3  代理監督者責任(民法七一五条二項)

本件事故当時森は被告エーケンの取締役であり、加害車を運転してその業務の執行につき本件事故を生ぜしめたものであるから、同被告は使用者責任を負うべきであるところ、同被告は小規模な個人会社であつて、その代表取締役である被告吉田が被告エーケンに代つて森を監督すべき地位にあつた。

三  損害

1  死亡

謙之助は、昭和四九年四月九日午前二時ころ本件事故により死亡した。

2  謙之助の損害額(逸失利益)

謙之助は、本件事故当時三三歳で、被告ニチヤクの取締役経理部長として年間三〇五万円、被告千寿の監査役として年間一八〇万円の各収入を得ていたものであるところ、同人の就労可能年数は死亡時から三四年、生活費は収入の三〇パーセントと考えられるから、同人の死亡による逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、六六三八万五一五一円となる。

3  原告らの損害額

(一) 慰藉料

原告弘子は、謙之助の妻、その余の原告らは、いずれも同人の子であるところ、原告ら家族の支柱として欠くことのできない存在であつた謙之助を失い、甚大な精神的打撃を受けたものであり、原告らの慰藉料額は、各一八〇万円とするのが相当である。

(二) 弁護士費用

原告らは、本件訴訟の提起、追行を原告ら代理人に委任し、かつ依頼の目的を達すると同時に弁護士費用として、拡張前の本訴請求損害額の一五パーセントに相当する金員につき各相続分の割合により原告弘子において二一八万三四八〇円、その余の原告らにおいて各一四五万五六五二円をそれぞれ支払う旨約した。

四  相続

原告弘子は、謙之助の妻、その余の原告らは、いずれも同人の子として、謙之助の死亡により同人の被告らに対する本件事故による損害賠償債権を各法定相続分(原告弘子三分の一、その余の原告ら各九分の二)に応じて相続により承継取得した。

五  損害の填補

原告らは、自賠責保険金一〇〇〇万円の支払を受け、そのうち三三三万三三三四円を原告弘子の、各二二二万二二二二円をその余の原告らの各本件損害金内金の支払に充当した。

六  本訴請求

よつて、被告らに対し、原告弘子は、損害残金二二七七万八五三〇円及びこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和四九年四月一〇日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を、その余の原告らは、それぞれ損害残金一五七八万五六八五円及びこれに対する前同日から完済まで前同割合による遅延損害金を各自支払うことを求める。

第三請求原因に対する被告らの答弁

一  請求原因一の事実は認める。

二1  同二1の冒頭の事実は否認する。

2  同二1(一)のうち森が被告エーケンに在職中加害車を通勤用及び同被告の業務用に使用していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

加害車は、森が所有する車両であり、被告エーケンは、森が加害車を購入した際、単に買主名義を貸しただけである。

3(一)  同二1(二)の冒頭の事実は、被告ニチヤクが原告らの主張する四社の合併した会社であるとの点を除き否認する。

(二)  同二1(二)の(1)の事実は否認する。

被告会社三社は、昭和四七年四月一日の合併による被告ニチヤク発足前は同一社屋(同心ビル)に同居し、書類等も共通のものを使用するほか光薬品が被告エーケンの業務を決定するなど「同心グループ」として密接な関係にあつたことはあるが、合併後は被告エーケン、同千寿が右社屋を出て独立の事務所を構え、それぞれ各別に営業及び事務処理をするに至り、合併前の前記密接な関係は解消された。

(三)  同二1(二)の(2)の事実も否認する。

被告会社三社の商業登記簿上の本店所在地は、原告らの主張するとおりであるが、実際に同所に本店を有するのは被告ニチヤクだけであり、被告エーケンは、大阪市生野区勝山北三丁目に、被告千寿は、同市東区平野町三丁目甘糖ビルにそれぞれ本店を設けている。

(四)  同二1(二)の(3)のうち被告会社三社の代表取締役が同一人(被告吉田)であること、謙之助が被告ニチヤクの取締役と同エーケン及び同千寿の各監査役とを兼任したことがあるほか、被告ニチヤクの取締役経理部長と同千寿の監査役を兼任していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

謙之助は、昭和四六年五月被告エーケンの監査役に就任した後、昭和四九年二月二二日これを退任する一方、昭和四七年四月被告ニチヤクの取締役に就任した後、昭和四九年四月一日同被告の経理部長に就任したのであり、また森は、同年二月二二日被告エーケンの取締役を退任した後、同年四月一日被告ニチヤクの商品開発課長に就任したものである。

(五)  同二1(二)の(4)のうち被告ニチヤクが同エーケンの株式につき三〇パーセントの出資をしていること、被告ニチヤク及びその代表取締役が被告千寿の株式につき合計二三・一五パーセントの出資をしていることは認めるが、その余の事実は否認する。

(六)  同二1(二)の(5)の事実は認める。

もつとも、被告ニチヤクは、同エーケンから担保権の付着した不動産をそのまま買取つたものであるにすぎない。

(七)  同二1(二)の(6)の事実は否認する。

(八)  同二1(二)の(7)の事実も否認する。

4(一)  同二1(三)の冒頭の事実は否認する。

(一)  同二1(三)の(1)の事実も否認する。

(三)  同二1(三)の(2)の事実も否認する。

(四)  同二1(三)の(3)のうち森が被告エーケンを退職後昭和四九年四月一日に被告ニチヤクの商品開発課長に就任したことは認めるが、その余の事実は否認する。

森が配属された商品開発課は、本来は新商品の開発を業務とし、社用で外出する機会が少いものと予想されていたが、同課は、同人のために新設されたばかりの課であつて、昭和四九年四月一日から本件事故日の同月九日までの間は未だ準備期間中で具体的な仕事の内容も決定されていなかつたのであるから、森が右の間に加害車を被告ニチヤクの社用に使用したことはなく、またその必要もなかつた。

5  同二1(四)のうち本件事故当時における被告エーケンの従業員数が六名であつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

被告エーケンは、昭和四二年七月二九日社名を変更して以来、その名において営業活動を行なつてきており、最盛期には二五名の従業員並びに土地(大阪市生野区勝山北三丁目一七六番一二宅地六八九・二三平方メートル)及び建物(右土地上に存する家屋番号一七六番一二の一鉄骨造陸屋根三階建工場、一・二階共一七九・八四平方メートル、三階一四一・三四平方メートル)等の資産を有していた。

6  同二2のうち被告ニチヤクが森を雇用していたこと及び森が原告らの主張するとおりの過失により本件事故を発生させたことは認めるが、その余の事実は否認する。

森は、事故前日午後五時半ころ、日ごろから親交のあつた被告ニチヤク従業員謙之助、同浦野、同訴外高山春夫とともに揃つて退社してマージヤン屋に赴き、午後九時ころまで遊んだ後、更に謙之助、浦野とともにクラブ「花」等数軒を飲み回つたうえ、クラブ「花」のホステス訴外島野道子を同女宅まで送るため加害車を運転中、本件事故を惹起したものであつて、右事故は、会社業務とは全く関係がない退社後における私人としての行動中の事故である。

7  同二3のうち被告吉田が同エーケンの代表取締役であつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

森は、昭和四九年二月二二日被告エーケンの取締役を、同年三月三一日同被告の営業部長をそれぞれ退任しており、本件事故当時は同被告の役員でも従業員でもなかつたし、また森が被告エーケンに在職中も代表取締役被告吉田は、被告ニチヤクの職務に専念し、被告エーケンの事業所の監督を一切森に委任していたものであつて、同事業所には二年に一回訪問する程度であつた。

三  同三のうち1の事実は認めるが、2、3の事実は争う。

四  同四の事実は不知。

五  同五の事実は認める。

第四被告らの主張

本件事故は、森が被告エーケンを退職した後の事故であり、また森が勤務先の被告ニチヤクを退社後会社業務とは全く関係がない私的なマージヤン及び飲酒をした帰途発生したものであるから、被告らは加害車による本件事故の運行につき何ら具体的な支配・利益を有していなかつた。

第五被告らの主張に対する原告らの答弁

被告らの主張のうち本件事故が森の被告エーケン転出後に発生したことは認めるが、その余の事実は否認する。

加害車は、被告エーケンの所有車ないしこれと同視しうる車両であつて、実質的には被告ニチヤクの業務用に供されていたのであるから、例外的に業務外の使用であつても、被告らの具体的な運行支配・利益が失われたものとはいえないのみならず、本件事故は、森が被告ニチヤクらの役員、従業員の相互親睦、慰安を目的とする娯楽を終えた後、同被告従業員浦野を同人宅へ送り届けるために加害車を運転中惹起したものであつて、被告らの加害車に対する具体的な運行支配・利益は喪失されていなかつた。

第六証拠関係〔略〕

理由

第一事故の発生

請求原因一の事実は、当事者間に争いがない。

第二責任原因

一  運行共用者責任について

1  報告会社三社について

(一) 成立に争いがない甲第三八号証の五、六、証人後藤敞の証言によつて成立を認める乙第四号証、第七号証、同証人の証言、被告会社三社代表者兼被告(以下単に被告という。)吉田本人尋問の結果(一回)を総合すると、森は、昭和四五年五月ころから被告エーケンに取締役営業部長として勤務するようになつたものであるところ、販売先および仕入先の開発、従業員の監督等業務執行全般について同被告会社代表取締役である被告吉田から一任されてこれらを担当していたこと、森はその後昭和四九年二月二二日右取締役を辞任し、同年四月一日には右営業部長も退任し、同日被告ニチヤク営業本部業務部商品開発課(以下商品開発課と略称する。)長に就任した(森が同日同課長に就任したことは当事者間に争いがない。)こと以上の各事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(二) 前掲甲第三八号証の五、六、成立に争いがない同第六ないし第八号証、第一一ないし第一四号証、第二〇ないし第二四号証、第三八号証の一ないし四、七、第三九号証、第四〇号証の一ないし五、第四一、第四二号証、第四三号証の一ないし三、第四四号証の一ないし六、第四五号証、第四六号証の一ないし九、乙第一六、第一七号証、証人浦野初枝の証言によつて成立を認める甲第一〇号証、証人後藤敞の証言によつて成立を認める乙第一ないし第三号証、証人浦野初枝、同後藤敞の各証言、被告吉田本人尋問の結果(一・二回)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(1) 被告エーケンは、昭和二五年一〇月六日設立された須山製薬所(目的 医薬品の製造及びその販売等、代表取締役 訴外須山利三郎、資本八〇万円)に光薬品(代表取締役 被告吉田)が資本参加して昭和四二年七月二九日商号を変更した会社であるところ、その後二度の増資を経たうえ、更に同年一〇月一二日にも増資して資本が一〇〇〇万円となり、経営陣も交替して昭和四三年二月二〇日以来現在まで被告吉田が代表取締役に任じており、また昭和四四年二月二一日には右目的を医薬品、医療部外品、化粧品及び医療用具、化学薬品、衛生雑貨、動物用薬品の製造、販売等に変更した。

(2) 被告千寿は、昭和二二年四月九日資本三〇〇万円で薬品の製造、加工販等を目的として設立された会社であつて、右設立以来被告吉田がその代表取締役に就任しているところ、資本を昭和三九年五月二二日三〇〇〇万円に、昭和四四年一一月二一日には七五〇〇万円にそれぞれ増加し、また同年一月一八日には営業目的を変更して被告エーケンの前記変更後の目的と同一の目的を有するに至つた。なお、昭和四八年四月三日には資本を一億五〇〇〇万円に増加した。

(3) 光薬品は、昭和二二年三月一七日資本三〇〇〇万円で設立された会社であつて、右設立以来被告吉田がその代表取締役に就任しているところ、昭和四四年五月一七日には営業目的を変更して被告エーケンの前記変更後の目的と同様の目的(右変更後の目的のほか農薬、計量器、香料、飲料品をも製造、販売の対象品目としている。)を有するに至り、また同年六月二一日には資本を六〇〇〇万円に増加した。

(4) 前記光薬品およびイヤク(昭和三五年八月三〇日に設立された会社で、資本一八〇〇万円、目的薬品の製造等、代表取締役 被告吉田)は、いずれも本店を大阪市北区北同心町一丁目八三番地に所在する光薬品所有の同心ビル内に設置していたところ、被告千寿が昭和四〇年五月一六日、被告エーケンが昭和四二年七月二九日それぞれ本店を右同心ビル内に変更し、爾来、代表取締役を同一人とし、同様の営業目的を有する右四社は、同心ビル内において、イ「どうしん会」ないし「同心グループ」を結成して四社共通の社員名簿を作成するほか、各種書類を共用し、更に一部役員及び従業員が他社の役員ないし従業員を兼任し、ロ光薬品を医薬品等の販売部門、被告エーケン、同千寿をその製造部門とし、光薬品において同被告らの営業内容を決定し、ハ昭和四三年九月一六日四社共通の同心ビル車両関連規程集を作成し、これに基づき四社の社用車(各会社所有車並びに担当業務用に使用することを会社が承認した従業員所有車で、持車と呼ばれていた車両)について種々の規制を加えて統轄管理するなどして、光薬品を中心に密接な間柄にあつた。

(5) 昭和四七年四月一日イヤクは、光薬品、美馬薬品及び旭薬品を吸収合併した結果、それらの権利義務を包括的に承継し、右合併に伴い、新株発行により、イヤクの有していた資本一八〇〇万円に光薬品の資本六〇〇〇万円、美馬薬品及び旭薬品の資本各一五〇〇万円を増加して増加後の資本を一億〇八〇〇万円とするに至り、また商号をニチヤク株式会社(被告ニチヤク)と変更するとともに営業目的を従前の光薬品のそれと同一内容とするほか、薬用酒、食料品、電気器具その他一般日用品の製造販売、損害保険代理業等とする旨変更し、更に代表取締役に訴外美馬多三郎、同久保田久男及び被告吉田が就任した。

(6) 他方、右合併に伴い、被告エーケンは、本店所在地を登記簿上は変更することなく事実上大阪市生野区勝山北三丁目二番五号に、被告千寿も同様に事実上同市東区平野町三丁目にそれぞれ移転した。

(7) しかし、被告エーケンの右移転後も、被告ニチヤクは、従前の光薬品と同様専ら医薬品等の販売を事業内容とし、引続き被告エーケンからその製造した医薬品等を仕入れて同被告との取引を継続するほか、同被告に融資するなどの援助を与えていたところ、被告エーケンにおいて右返済に窮したため、被告ニチヤクは、昭和四九年三月二二日被告エーケンから同被告の前記事実上の本店所在地に存する同被告所有の土地、建物(大阪市生野区勝山北三丁目一七六番一二宅地六八九・二三平方メートル及び同土地上に存する家屋番号一七六番一二の一鉄骨造陸屋根三階建工場一・二階共一七九・八四平方メートル、三階一四一・三四平方メートルで、いずれも被告エーケンを債務者とする担保権が設定されている。)を右担保権付で買取つてその代金を前記返済に充てるとともに、右建物を被告エーケンに賃貸するに至つた。

(8) 前記合併以降における被告エーケンのほとんどの役員は、被告ニチヤクの株主であり、かつもと光薬品の従業員、役員であつたものによつて占められている一方、被告エーケンの昭和四九年四月末日現在の株式名簿によれば、株式総数二〇万株(一〇〇〇万円)のうち被告ニチヤクが六万株(三〇〇万円)、被告吉田が二万株(一〇〇万円)、もと光薬品の従業員で、かつ被告ニチヤクの株主である訴外岸本憲周外三名が合計三万株(一五〇万円)、被告ニチヤクの株主である被告千寿が四万株(二〇〇万円)、同じく訴外前田茂彦が一万株(五〇万円)をそれぞれ有し、被告ニチヤクおよびその関係者によつてその大半が占められていた。

(9) 本件事故は、前示のとおり業務執行を一任されていた森が被告エーケンの積年の業績不振から、被告吉田の指示によつて引責辞任し、被告ニチヤクに転出した直後発生したものであり、当時被告エーケンの従業員数は約六名であつた(右従業員数については当事者間に争いがない。)。

(三) 前掲甲第一一号証、成立に争いがない同第一号証の二、第一七号証の一ないし九、第一九号証の一ないし一三、第二六(乙第一〇号証と同一内容)、第二七号証、第二八、第二九号証の各一、二、第三二ないし第三四号証、第三五号証の一、二、乙第一八号証の一、二、証人後藤敞の証言によつて成立を認める同第一二号証、被告吉田本人尋問の結果(二回)によつて成立を認める同第一四号証の一ないし一三、証人後藤敞(ただし、後記措信しない部分を除く。)、同森沢子の各証言及び弁論の全趣旨を総合すると、

(1) 加害車は、昭和四六年三月一七日被告エーケンがマツダオートから代金七六万八七〇〇円を割賦で支払う旨の約定で、森を連帯保証人として買受けたものであり、同被告において頭金五〇万円を支払つたが、残金二六万八七〇〇円は同年五月一〇日から昭和四七年四月一〇日までの間に森の振出手形の決済によつて支払われた。

(2) 被告エーケンは、右買受けに当り、所有者をマツダオート、使用者を自己、使用の本拠の位置を使用者の住所(大阪市北区北同心町一丁目八三番地)とする登録を受けるとともに、その旨記載された自動車検査証の交付を受けたが、右登録及び検査証の記載は本件事故当時もなお変更されていなかつた。

(3) 被告エーケンは、右買受けに当り、加害車につき保険期間を昭和四六年三月二六日から昭和四八年四月二六日までとする自賠責保険契約を締結したが、右期間終了に際しては、森が保険期間を同年四月二六日から昭和五〇年四月二六日までとする同契約を締結し、また光薬品は、被告エーケンの前記加害車買受けに当つて、加害車につき保険期間を昭和四六年三月二〇日から昭和四七年三月二〇日までとする任意の自動車保険(車両・対人・対物賠償保険)契約を締結したが、その後被告エーケンが保険期間を昭和四八年三月三〇日から昭和四九年三月三〇日までとする同保険(対人・対物・搭乗者傷害賠償保険)契約を締結した。

(4) 加害車は、被告エーケンにおける森の担当業務を遂行するために購入されたものであるところ、同車は、右購入後前示同心ビル車両関連規程集に基づき、光薬品、被告エーケン、同千寿、イヤク四社の統轄管理を受けながら、専ら森によつて同人の通勤用及び担当業務用に使用されていた(同人が同車を上記各目的に使用していたこと自体は当事者間に争いがない。)ものであり、これに対し被告エーケンは、同車が前示持車(担当業務用に使用することを会社が承認した従業員所有車)と同様に扱い、森に対し通勤手当(交通機関を利用して通勤する従業員に支払われる手当で持車によつて通勤する従業員にも支払われていた。)及び持車に対する手当である運行手当(車両手当)を支給していた。

(5) 森が昭和四九年四月一日に転出した被告ニチヤク商品開発課は、その際仕入販売先の開発等を目的として新設された課であるところ、その後車両を利用して営業活動をしていた。また、森は、被告ニチヤクに転出してからも、従前に引続き加害車を運転して通勤していた。

(6) 被告エーケンは、昭和四六年度分から昭和四九年度分までの加害車の自動車税を納付しており、また本件事故後の昭和四九年五月一五日加害車につき道路運送車両法一六条に基づくまつ消登録申請をしてその旨の登録を得た。

以上の各事実を認めることができ、右認定に反する以下に掲げる各証拠はいずれも以下に説示するとおり措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。すなわち、

乙第一一号証(マツダオート販売担当員訴外中村利寿作成の報告書)中には、加害車の実質上の買主は森であつて、被告エーケンは代金支払について一切関係がない旨並びに加害車の名義人及び売買契約上の買主名義人を被告エーケンにしたのは森が加害車の保管場所を確保できなかつたためである旨の記載部分が存し、また証人後藤敞の証言中には、同証人が被告エーケンの事務担当者及び前記訴外中村から加害車の実質買主は森であつたが、同人において加害車の保管場所を確保できなかつたことと被告エーケンが運行試用車として購入する形式をとれば廉価で購入することができたことの二つの理由から森が被告エーケン名義で購入するに至つたときいた旨の供述部分が存し、更に前認定のとおり加害車の売買代金の一部が森の振出手形によつて支払われたこと、森は後に加害車につき自賠責保険契約を締結したこと、被告エーケンが加害車を森の持車と同様に扱つていたこと等の事情も存する。しかしながら、成立に争いがない甲第三〇号証、原告弘子本人尋問の結果によつて成立を認める同第三一号証の一ないし三、証人森沢子の証言によると、森は、本件加害車の売買当時芦屋市岩園町地内のマンシヨンに居住していたものであるが、そのころから本件事故当時に至るまで引続き訴外泰和実業株式会社から同マンシヨン内の車庫を賃借して加害車を保管していたことが認められること、後藤証人が伝聞したという被告エーケンの運行試用車の件は前掲乙第一一号証中には何ら触れられていないこと、先に認定したとおり森は、被告エーケンにおいて取締役営業部長の地位にあつたうえ代表取締役被告吉田に一任されて業務執行全般を掌握していたものであること、森は、生前加害車は会社の車であるが将来自分の車になると自己の妻沢子に語つていたことが証人森沢子の証言によつて認められること以上の諸事情を合わせ考えると、前記乙第一一号証の記載部分及び証人後藤敞の証言部分はたやすく措信し難く、また前記森の振出手形による一部代金支払、自賠責保険契約の締結及び被告エーケンの加害車に対する取扱態度等の事情も、加害車の買主が被告エーケンであるとの前認定に相反又は矛盾するものではないといわなければならない(もつとも、森の意図としては、いずれ加害車を被告エーケンから譲受ける予定であつたことが窺われないではないが、その具体的時期、方法等は知る由もない。)。また、証人後藤敞の証言中には、森が被告エーケンを退社する際、被告ニチヤク商品開発課では車両の使用を認めない旨森に確認させていたところ、同人は、昭和四九年四月一日同証人(同被告総務部副部長)のもとに挨拶に赴いた際、今後電車で通勤すると語つた旨の供述部分が存し、また被告吉田本人尋問の結果(二回)中には、森は、被告ニチヤクに変つてからは車も必要ないし使わないということで加害車を通勤に利用していなかつた旨の供述部分が存するが、右各供述部分は、前掲甲第三五号証の一、二、証人森沢子の証言に照らしたやすく措信できない。なお、成立に争いがない乙第五号証、証人後藤敞の証言によつて成立を認める同第六号証、証人森沢子の証言によれば、森(代理人同人の妻沢子)は、昭和四九年四月二日国鉄芦屋駅において期間を翌三日から同年五月二日までとする被告ニチヤクへの通勤用定期券を購入したことが認められるが、証人森沢子の他の証言部分及び証人後藤敞の証言を総合すると、被告ニチヤクにおいては前示持車による従業員に対しても通勤手当を支給しており、右支給に当つては当初のみ定期券の提示を求めていたため、森も右通勤手当を受ける必要上定期券を購入したものであるにすぎないことが認められ、したがつて右定期券購入の事実をもつて直ちに森が商品開発課において車両を必要とせず、かつ車両によらずに電車で通勤していたと断ずることはできないものというべきである。

(四) 証人島野道子、同浦野初枝、同森沢子、同高山春夫の各証言によると、被告ニチヤク商品開発課長である森は、本件事故の前日勤務終了(午後五時)後の午後五時半ころから同被告取締役経理部長兼被告千寿監査役謙之助、被告ニチヤク営業本部業務部長高山春夫及び同被告企画課従業員浦野らと同被告の付近にあるマージヤン屋でマージヤンをした後、右浦野とともに、午後九時過ころから行きつけのクラブ「花」に赴き、同所において閉店の午後一一時半ころまで遊興したうえ、同クラブのホステス島野道子外一名を伴つて他の店で食事をしたこと、そしてその後森は、右島野外一名、浦野及び近くのスナツクにいた謙之助を加害車に乗車させ、自己が同車を運転して同人らを各自宅まで送り届けながら帰宅する途中、本件事故を惹起したものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。

以上(一)ないし(四)の各認定事実を総合すると、被告エーケンは、加害車の所有者として同車の一般的な運行を支配し、かつその利益を享受していたものであり、また被告ニチヤクは、同エーケンとは法律上別個独立の会社ではあるが、その実態は、合併前の光薬品時代から被告エーケンを自己の一事業部(製造部門)として支配していたところ、合併によりかかる密接な関係がそのまま被告ニチヤクに承継されたのみならず、爾来少くとも本件事故当時まで、事業場所を異にする等従前の関係とは多少相違を来すようになつたものの、被告ニチヤクは依然として被告エーケンを庇護し、かつ支配していたものと認められ、したがつて加害車の一般的な運行についても被告エーケンと同一の立場で支配し、かつその利益を享受していたものと認定するのが相当である。そして、前認定のとおり本件事故当日は森が被告エーケンから同ニチヤクに転出した後であり、前認定(三)の事実によれば、森は、右転出後被告ニチヤクから加害車を業務用及び通勤用に専用することを容認されてこれを通勤用に使用していたことが認められるが右被告両名の前記実態を考慮すると、右事実のみ被告ニチヤクにおいてはもとより、被告エーケンにおいてもいまだ加害車に対する具体的な運行支配・利益が喪失されたものということはできず、また前認定(四)の事実によれば、事故当時森は、第三者らを同人ら宅へ送り届けるという業務外の私用目的で加害車を運行していたものであると認められるが、反面右述のとおり、加害車は森が業務用及び通勤用に専用することを容認されていたものであるところ、前認定(四)の勤務終了後における森の行動、時間的経過等に徴すると、本件事故時における運行も同人の帰宅途中のものであると解されるから、前記運行目的の点からも、事故時における被告エーケン、同ニチヤクの加害車に対する具体的な運行支配・利益が喪失されたものということはできない。したがつて、右の運行支配・利益喪失に関する被告エーケン、同ニチヤクの主張は理由がない。

そうすると、被告エーケン及び同ニチヤクは、本件事故により被つた謙之助及び原告らの損害につき運行供用者責任を免れることはできず、自賠法三条により右損害を賠償する責任があるというべきである。

しかし、被告千寿については、被告ニチヤクの合併前の会社である光薬品時代において光薬品を中心として同会社及び被告エーケンと密接な間柄にあつたことは前認定(二)のとおりであり、また前掲甲第一〇号証、第三八号証の六、七、第四〇号証の四、五、第四四号証の五、六、乙第二、第三号証、被告吉田本人尋問の結果(一、二回)によれば、その後も被告千寿は、同エーケン及び同ニチヤクの株式の一部(被告エーケンの株式総数二〇万株(一〇〇〇万円)のうち四万株(二〇〇万円)、被告ニチヤクの株式総数二一万六〇〇〇株(一億〇八〇〇万円)のうち五五〇〇株(二七五万円))を有し、かつ一部役員及び株主を共通にしていたほか、被告エーケンにその従業員の給料分に充てるための金員を貸与したこともあり、また被告ニチヤクが同千寿の株式総数三〇〇万株(一億五〇〇〇万円)のうち四〇万株(二〇〇〇万円)を有していたことが認められるものの、右以上に合併後本件事故当時においても、被告千寿が、同エーケンないし同ニチヤクと実質上同一企業体ないし支配、従属の関係にあつて、加害車の運行の支配、利益を有していたことを認めるに足りる証拠はない。

そうすると、被告千寿が加害車の運行供用者であるということはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

2  被告吉田について。

被告エーケンの実質が全く被告吉田の個人企業であるとの原告ら主張事実は、以下に説示するとおりこれを認めるに足りる証拠はない。すなわち、

成程、被告エーケンは、須山製薬所に光薬品(代表取締役被告吉田)が資本参加して商号変更された会社で、被告吉田が代表取締役に任じてきたことは前認定1(二)のとおりであるところ、前掲甲第三八号証の一ないし三、被告吉田本人尋問の結果(一回)によつて成立を認める同第三六、三七号証によれば、右須山製薬所は、もともと須山利三郎の小規模な個人経営による会社であつたことが認められ、また被告吉田本人尋問の結果(一、二回)によれば、被告エーケンは赤字経営が継続し、本件事故当時既に事実上倒産の状態にあつたもので、見るべき資産もなかつたことが認められ、更に本件事故当時における同被告の従業員数が約六名であつたことは前示1(二)のとおりである。しかしながら、他方前認定1(二)のとおり被告エーケンは、発足後三度の増資を重ね、資本を従前の八〇万円から一〇〇〇万円に増加し、昭和四九年四月末日現在の株式構成は、代表取締役吉田個人は株式総数の一〇パーセントに当る二万株(一〇〇万円)を有するにすぎず、他は被告ニチヤク、同千寿その他第三者数名が有していたものであり(被告吉田がこれらの者の株式の一部でも支配していたことを認めるに足りる証拠はない。)、前掲甲第一三号証、乙第一六、第一七号証、被告吉田本人尋問の結果(一回)及び弁論の全趣旨を総合すると、被告エーケンは、最盛期には少くとも一五名以上の従業員を擁し、かつ昭和四九年三月二二日に被告ニチヤクに売却するまでは前記大阪市生野区勝山北三丁目所在の土地、建物を所有して営業活動を行なつていたことが認められ、以上の諸事実に徴すれば、前記諸事情にもかかわらず、いまだ被告エーケンが全くの形骸にすぎず、その実質が全く被告吉田の個人企業であると解することはできず、原告弘子本人尋問の結果によつてもこれを認めるに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

よつて、原告らの主張するように被告エーケンの法人格を否認し、被告吉田自身が加害車の運行供用者であるということはできない。

二  被告千寿の使用者責任及び被告吉田の代理監督者責任について

本件事故当時被告千寿が森の使用者ないし使用者と同視しうる立場にあつたことを認めるに足りる証拠はないから(本件事故当時同被告が被告エーケンないし被告ニチヤクと実質上同一企業体ないし支配、従属の関係にあつたことの認められないことは前記一1で述べたとおりである。)、被告千寿の使用者責任は問いえない。また本件事故当時森は被告ニチヤクの営業本部業務部商品開発課長として同被告の被用者であつたことは前記一1で述べたとおりであるが、同被告の代表取締役である被告吉田が森に対する代理監督者の立場にあつたことを認めるに足りる証拠はない。もつとも、原告らは、本件事故当時森は被告エーケンの取締役であつたから被告吉田は被告エーケンの代表取締役として森に対する代理監督者責任を負うべきである旨主張するが、右一1で認定したように本件事故当時森は既に被告エーケンの取締役を辞していたものであるし、他に当時森が同被告の被用者ないし被用者と同視しうべき立場にあつたことを認めるに足りる証拠はないから、原告らの右主張は採用の限りでない。

第三損害

一  死亡

請求原因三1の事実は当事者間に争いがない。

二  謙之助の損害額

(逸失利益)

前掲甲第四〇号証の四、第四四号証の五、成立に争いがない同第四号証、第五号証の一、二、証人後藤敞の証言、原告弘子、被告吉田(二回)各本人尋問の結果によると、謙之助は、事故当時三三歳で、被告ニチヤクに取締役経理部長として勤務し、昭和四八年の実績によれば、年間三〇五万円の収入を得ていたほか被告千寿に監査役として勤務し、同年の実績によれば、年間一八〇万円の収入を得ていたことが認められるところ、経験則によると、同人の就労可能年数は、死亡時から三四年、生活費は収入の三〇パーセントと考えられるから、同人の死亡による逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、六六三八万五一五一円(円位未満切捨。以下同じ。)となる。

(三〇五万円+一八〇万円)×(一-〇・三)×一九・五五三八=六六三八万五一五一円

三  原告らの損害額

(慰藉料)

前掲甲第四号証、原告弘子本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、原告弘子は、謙之助の妻、その余の原告らは、いずれも同人の子であつて、生前同人を支柱として生活をともにしていたことが認められ、右認定事実に本件事故の態様、結果、謙之助及び原告らの年齢、謙之助が加害車に同乗した経緯その他諸般の事情を合わせ考えると、原告らの慰藉料額は、原告弘子につき一八〇万円、その余の原告らにつき各一二〇万円とするのが相当である。

第四相続

原告弘子が謙之助の妻、その余の原告らがいずれも同人の子であることは前認定のとおりであり、また前掲甲第四号証及び弁論の全趣旨によると、謙之助には原告らのほかに相続人たるべき者が存しないことが認められる。

そうすると、原告らは、謙之助の死亡により同人の被告エーケン、同ニチヤクに対する前記損害賠償債権について各相続分(原告弘子につき三分の一、その余の原告らにつき各九分の二)に応じて相続承継したことが認められ、その結果原告弘子の同被告らに対する損害額は、合計二三九二万八三八三円(相続分二二一二万八三八三円、固有分一八〇万円)、その余の原告らの損害額は、合計各一五九五万二二五五円(相続分各一四七五万二二五五円、固有分各一二〇万円)となる。

第五損害の填補

請求原因五の事実は当事者間に争いがない。

よつて、原告らの前記損害額から右填補分を差引くと残損害額は、原告弘子につき二〇五九万五〇四九円、その余の原告らにつき各一三七三万〇〇三三円となる。

第六弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告らが被告エーケン、同ニチヤクに対して本件事故による損害として賠償を求めうる弁護士費用の額は、原告弘子につき一〇〇万円、その余の原告らにつき各七〇万円とするのが相当であると認められる。

第七結論

よつて、被告エーケン、同ニチヤクは各自、原告弘子に対し二一五九万五〇四九円及びこれに対する本件事故発生の日の後である昭和四九年四月一〇日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を、その余の原告らに対し各一四四三万〇〇三三円及びこれに対する前同日から完済に至るまで前同割合による遅延損害金をそれぞれ支払う義務があり、原告らの被告エーケン、同ニチヤクに対する本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、同被告らに対するその余の請求及び被告千寿、同吉田に対する本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木弘 大田黒昔生 畑中英明)

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